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ヘンリー・ノワク殺害事件を政治問題として扱うべきかどうかについては、現在も議論が続いている。一方では、ノワク氏の父親が「息子の死を政治利用しないでほしい」と訴えたことを重視し、この事件をより大きな政治的主張の材料として用いる人々を批判する声がある。その一方で、この発言が「怒りを表明しないための口実」として利用されているのではないかと考える人々もいる。もし被害者が別の属性を持つ人物だったならば、もっと大きな社会的怒りが起きていたのではないか、という指摘である。事件が日を追うごとに広く報道されるにつれ、イギリス国内では世論の分断も深まっている。
しかし、この事件に関心を寄せているのはイギリス人だけではない。ヨーロッパ各地の一部団体や政治勢力は、この事件を反移民的な主張の根拠として利用しているほか、「大量移民によって白人のヨーロッパ人が置き換えられている」とする、いわゆる「グレート・リプレイスメント」という陰謀論を広める材料としても用いている。1 また、大西洋を挟んだアメリカでは、実業家のイーロン・マスクが繰り返しこの事件について発言しているほか、アメリカ副大統領のJD・ヴァンスも移民問題と関連付けながらコメントを行っている。
今回私が注目したいのは、そうしたヴァンスの発言に対する英国外相デービッド・ラミーの反応、そしてラミーが出演したトレバー・フィリップス氏の政治番組でのやり取りである。前回の記事では、アメリカで発生したジョージ・フロイド死亡事件との比較について簡単に触れたが、今回はその点をさらに掘り下げたい。この議論は単に「被害者が黒人だったか白人だったか」という問題だけではない。政治家や政府関係者が特定の事件にどのように反応するのか、そしてなぜその反応の違いが大きな論争を生んでいるのかという点にも関わっている。

「もし過去数世代にわたるヨーロッパのエリートたちが、自虐的な政治や大量移民政策に屈しなかったなら、彼は今も生きていただろう。そうした移民の中には、西洋や西洋を愛する人々を嫌う者も少なくない。」
これは、ヘンリー・ノワク事件が再び注目を集めた際にJ・D・ヴァンスが投稿した言葉である。これに対し、デービッド・ラミーは電話でヴァンスに対し、その発言は誤りだと伝えたと報じられている。また、キア・スターマー首相は、アメリカの政治家がイギリスの民主主義に干渉しようとしているとの見方を示した。2
ちなみに、ラミーとトランプ陣営との関係は必ずしも良好だったわけではない。2024年に労働党が政権を獲得した際、ラミーの過去の投稿が再び注目された。その中には、ドナルド・トランプ氏を「我々の友人でも同盟者でもない」と批判し、「あなたは私の国にも私の街にも歓迎されない」と述べたものも含まれていた。ラミーは当時、これらを「古い話だ」と一蹴した。3しかし2025年にJ・D・ヴァンスと会談した際には、両者は良好な関係を築いているように見え、ラミー自身もヴァンスを「良き友人」と表現していた。4 だからこそ、今回のノワク事件をめぐる両者の対立は特に注目に値するのである。

この議論は、6月7日に放送された『サンデー・モーニング・ウィズ・トレバー・フィリップス』へのラミー出演によってさらに興味深いものとなった。5 番組内でフィリップスは、ラミーがリフォームUKの政治家たちによる「怒り(anger)」や「激しい憤り(fury)」という表現を批判したことについて疑問を投げかけた。フィリップスはさらに、ヴァンスが用いた「正当な怒り (righteous anger)」という表現についても指摘した。この言葉はラミーが批判した表現の一つだったが、ラミー自身も2020年のジョージ・フロイド事件後の投稿で全く同じ表現を使用していたという。またフィリップスは、フロイド氏の死について発言していた多くの政治家、特に労働党の有力政治家たち (マフムード司法大臣、カーンロンドン市長、そしてスターマー首相)が、デレク・ショーヴィン被告の裁判が始まる前から強い批判や意見表明を行っていたことにも触れた。
ここで一つの疑問が浮かび上がる。フロイド氏の死を受けた市民の怒りが正当なものと見なされたのであれば、なぜヘンリー・ノワク事件では異なる扱いを受けるのだろうか。さらに言えば、イギリスの政治家が外国で起きた事件について公然と意見を述べることは許容される一方で、自国で起きた事件への批判は「政治利用」として退けられるのはなぜなのだろうか。
この点こそ、人種の問題が議論の一部となっている理由の一つである。
この問題については、「被害者が白人だったため、メディアや社会全体の関心がジョージ・フロイド事件ほど高まらなかったのではないか」と指摘する声もある。6 私自身、そのような懸念は理解できる。しかし、今回私がより注目したいのは人種そのものではなく、事件に対する政治家たちの反応の違いである。同じように社会的な議論を呼ぶ事件であっても、誰が被害者なのかによって政治家たちの言葉や態度が変わっているように見えるのであれば、それもまた検証されるべき問題ではないだろうか。
さらに、ノワク氏が死亡前にどのように報じられたのかという論争や、当局の対応への疑問も加わり、両事件の比較はより強まっている。こうした観点から見ると、ラミーの立場は矛盾しているようにも映る。
なぜ政治家は、どの死を政治問題として扱うべきかを決められるのだろうか。
スターマーや労働党の政治家たちは、実際にフロイド事件後、アメリカ警察の対応を公然と批判していた。それもまた、事件や死をより大きな政治的議論へと結び付ける行為、つまり一種の政治化だったのではないだろうか。
私は、どちらの事件も政治的議論の対象にしてはならないと主張しているわけではない。警察の権限、社会的緊張、あるいは政府の政策に関する問題を提起する事件は、いずれ政治的議論へと発展するものである。重要なのは、その基準が一貫しているかどうかだ。
そして、この議論はより大きな問題へとつながる。ある国の政治家が、別の国の問題について発言することは、いつ正当化されるのだろうか。
通常であれば、私は米国の政治家は英国国内の議論に慎重であるべきだと考える。英国は主権国家であり、影響力の大きい外国人が世論形成に介入しようとすることに懸念を抱くのは当然だからだ。実際、イーロン・マスクは2024年にイングランドおよび北アイルランドで発生した暴動の際、大きな影響力を持つ発言者となった。7 また、J・D・ヴァンスやドナルド・トランプも、イギリスの言論の自由や民主主義について繰り返し意見を述べている。一方で、イギリス首相がアメリカ国内政治について同じ頻度で発言する姿を想像するのは難しい。

しかし今回に限って言えば、ヴァンスへの批判を2020年の出来事から完全に切り離して考えることは難しい。当時、野党党首だったキア・スターマーはジョージ・フロイド事件を受けて片膝をつき、さらにボリス・ジョンソン首相に対し、ドナルド・トランプ政権へ懸念を伝えるよう求めていた。
ジョージ・フロイド氏の死は悲劇だった。映像は世界中に衝撃を与え、私自身も強い憤りを覚えたし、その気持ちは今も変わらない。同様に、ノワク事件に関連する映像を見た時にも私は同じような恐怖と衝撃を感じた。だからこそ、ここにダブルスタンダードがあってはならない。
政治家が海外の事件について発言する権利を持つのであれば、他国の政治家から同様の発言を受けることも受け入れるべきだろう。逆に、それを望まないのであれば、自らもそうした発言を控えるべきである。擁護するのが難しいのは、2020年には一つの原則を採用しながら、2026年には別の原則を適用することである。
1. The Guardian
4. BBC News
5. The Guardian
6. Medium
7. CNN





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