半世紀にわたり私たちの中で生きた逃亡者: 桐島聡

写真: FNN プライムオンライン

読了時間: 5〜6分

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日本に住んだことがある人、あるいは長く滞在したことがある人なら、この男の顔を一度は見たことがあるはずだ。名前や経歴は知らなくても、あのかすかな笑みは、何十年にもわたって全国の警察署に貼られた指名手配ポスターからこちらを見つめていた。

日本で育った私にとって、彼の表情はどこか不思議な魅力を持っていた。ポスターに並ぶ多くの顔の中で、なぜか記憶に残ったのは彼だけだった。眼鏡、わずかな笑み、そして他の容疑者とはどこか違う、証明写真らしくない不思議な角度。その男こそ、桐島聡である。

これは、日本で最も知られた逃亡犯の一人の物語だ。約半世紀にわたり逮捕を逃れ、そして最期の瞬間に自らの正体を明かした男の記録である。こうした事件は、その重要性にもかかわらず、日本の外ではほとんど知られることがない。

桐島聡は1954年に広島で生まれ、その後関東に移り、明治学院大学に入学した。現在、私自身も在籍している大学である。そこで彼は、1970年代に活動していた極左武装組織「東アジア反日武装戦線」のメンバーと関わるようになった。¹

この組織は、いわゆる「反日亡国論」と呼ばれる急進的な思想を掲げていた。これは当時の新左翼運動の影響を受け、日本という国家そのもの、さらには日本人というアイデンティティ自体が、明治以降の帝国主義によって歪められてきたとする考えである。単なる反日感情とは異なり、日本や天皇制そのものを解体することで初めて「再生」が可能になると主張した。また、アイヌ民族への支持を掲げ、日本社会における少数派への差別にも強い批判を向けていた。 ²

1975年4月18日、東京・銀座の韓国産業経済研究所の入口に手製の時限爆弾が設置され、翌日に爆発した。死傷者は出なかったものの、建物の一部が損壊した。この爆弾は、組織が地下出版していた『腹腹時計』に掲載された手法をもとに作られたものである。その後の共犯者の裁判により、桐島は1974年から1975年にかけて発生した複数の爆破事件に、計画または実行の形で関与していたと認定された。³

その約1か月後、東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕されると、桐島は姿を消した。別のメンバーが所持していた自宅の鍵から警察は彼の存在を把握し、全国に指名手配が出される。ここから、約半世紀に及ぶ逃亡生活が始まった。1975年5月以降、彼の消息は完全に途絶えることになる。

末期がん患者が名乗った名は…過激派による連続爆破事件の容疑者名 鎌倉市の病院で死亡 本人なら組織の全容や逃亡生活の解明遠のく | 共同通信 プレミアム  | 沖縄タイムス+プラス

写真: 沖縄タイムズ+プラス

警察庁は桐島を「重要指名手配犯」の一人に指定し、殺人犯やテロリストと並ぶ存在として扱った。1987年には、警視庁が彼を含む10人の容疑者のポスターを700万枚印刷し、全国に配布した。そのポスターに写る桐島の表情は、やがて一種の象徴となった。あの独特の笑みは広く認知され、人々の間で真似されることもあった。SNS上では、髪型や眼鏡を再現し、ポスターの前で同じ表情をする「パロディ」も数多く見られるようになった。

SNSに投稿されたパロディの例

そして2024年1月25日、この物語は大きく動く。

「内田洋」と名乗る男が、自宅付近で腹痛を訴え、救急搬送された。鎌倉市内の病院で診察を受けた結果、末期の胃がんと診断される。この男は、運転免許証、健康保険証、銀行口座など、いかなる身分証明も持っていなかった。病院で彼は、ある願いを口にする。「本名で死にたい。」

そして、自分は桐島聡だと名乗った。

警察の事情聴取に対し、彼は犯人しか知り得ない爆破事件の詳細を語った。DNA鑑定が行われ、その直後に男は死亡する。結果は明白だった: 49年間逃亡を続けていた桐島聡本人であった。

その後、彼の「もう一つの人生」が明らかになっていく。

桐島は長年、神奈川県藤沢市で「内田洋」という偽名を使い生活していた。建設会社で住み込みの作業員として働き、給料はすべて現金で受け取っていた。身分証明を一切持たないことで、社会のシステムから自らを切り離していたのである。

近隣では「うっちー」と呼ばれ、物静かな人物として知られていた。時折音楽バーに足を運び、踊る姿も目撃されている。ジェームス・ブラウンのファンだったとも言われ、実際に店内で踊る映像が報道で繰り返し流された。彼は質素な生活を送り、病院や歯科にも記録が残ることを避けて通わなかった。その結果、晩年には多くの歯を失っていた。

取り調べの中で、彼は当初指名手配の理由となった韓国産業経済研究所爆破事件への関与を否定し、間組に対する別の爆破事件への関与のみを認めた。

桐島容疑者のポスターに「手配を解除」シール 県警が5000枚分 死亡の男を本人と特定|社会|神戸新聞NEXT

桐島聡と金成行が指名手配ポスターから外される様子。写真: 神戸新聞NEXT

さらに奇妙な偶然が重なる。

桐島の死から数日後、2020年の殺人未遂事件で指名手配されていた中国籍の金成行が逮捕された。 桐島の報道によって指名手配ポスターへの関心が再び高まり、それが逮捕につながったのではないかと指摘されている。人々は彼を「桐島の隣に載っていた男」として認識していたのである。


報道から数週間後、何度も訪れたことのある藤沢で、桐島が暮らしていたその通りを友人とともに初めて訪れた。現場は封鎖され、立ち入りや撮影を禁じる看板が並んでいた。彼が倒れたとされる自動販売機は、すぐ目の前にあった。現実感がなかった。

子どもの頃から見ていたあのポスターの人物が、こんなにも近くで生活していたのだ。特別な存在だと思っていた「指名手配犯」は、実はどこにでもいるような日常の中に溶け込んでいた。あのポスターの顔の向こう側にいる人間は、決して遠い存在ではない。彼らは、どこかすぐ近くで、気づかれないまま生きているのかもしれない。


桐島の物語が不気味なのは、事件そのものだけではない。その後に続いた人生にある。彼は約49年もの間、匿名性と現金社会、そして記録を持たない生活によって、社会の中に溶け込みながら生き続けた。警察に知られることなく一生を終えたという意味では、彼は「逃げ切った」とも言える。

そして2025年、この事件を題材にした映画が2本公開された。桐島の存在がいかに日本社会の記憶に深く刻まれていたか、そしてその結末がいかに異様であったかを物語っている。

やがて、あの顔は全国のポスターから静かに消えていった。かつてのテロリストは、ひとりの音楽を愛する静かな男として、人生の最期を迎えたのである。

¹ BBC News

² Kyoto University Repository

³ Sankei Shimbun

Tokyo Shimbun

TBS News Dig

AERA dot.

Diamond Online

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