「息ができない」ヘンリー・ノワク殺害事件と、その後に巻き起こった論争

2025年12月、ポーランド系イギリス人の18歳、ヘンリー・ノワクが、イギリス人のシク教徒ヴィックラム・ディグワーによって短剣で刺殺された。事件直後、ディグワーの兄弟は警察に通報し、ディグワーが人種差別的な暴言を受けたうえ暴行されたと主張した。警察官が現場に到着すると、ディグワーは自分が襲われ、さらに自身のターバンを引き剥がされたと説明したとされる。一方、その頃ヘンリー・ノワクは、致命傷となる刺し傷を負った状態で地面に倒れていた。

後に公開された警察のボディカメラ映像には、ノワクが繰り返し「刺されたんだ」、「息ができない」と訴える様子が記録されている。

しかし、それに対して警察官の一人は、「そんなふうには見えないけどな」と応じた。

この映像はその後、大きな批判の対象となった。警察官たちは重傷を負い出血しているノワクに手錠をかけ、そのまま地面に拘束したのである。ノワクは現場で死亡した。周囲には警察官たち、そして彼を刺した加害者がいた。

捜査が進むにつれ、ノワクが人種差別的な言葉を使った、あるいはディグワーのターバンを引き剥がしたという主張は事実ではなかったことが判明した。検察によれば、これらの主張は刺傷行為を正当化するためになされたものだったという。また、事件後にディグワーの母親が凶器の隠蔽に協力していたことも報じられた。さらに、ディグワーが当夜警察に拘束された際には手錠をかけられず、留置中の食事を自ら選ぶことも認められていたと報じられている。

Essex student stabbed to death in Southampton was 'kind and talented'

BBCより: ヘンリー・ノワクの写真

この事件が再び注目を集めたのは、今年6月にボディカメラ映像が一般公開されたことがきっかけだった。映像の公開を受け、殺人事件そのものだけでなく、警察の対応についても改めて議論が巻き起こった。多くの人々にとって、警察官たちが現場の状況をどのように判断していたように見えたかは極めて衝撃的だった。映像の中で、ヘンリー・ノワクが深刻な苦痛の中にいることは明らかだったからである。

こうした批判は、やがてより広範な政治的論争へと発展していった。英国の右派政党リフォームUKの党首ナイジェル・ファラージは動画を公開し、この事件は「二層構造の警察活動」を示す事例だと主張した。彼は、白人の権利や懸念が少数民族のそれよりも「重要視されていない」と訴えた。1

同様の懸念は、保守党の影の内務大臣であるクリス・フィルプによっても提起された。フィルプは、この事件を2023年のノッティンガム刺傷事件や2024年のサウスポート刺傷事件などと比較し、当局が人種差別主義者と見なされることを恐れるあまり、危険を示す警告サインを見過ごしてきた可能性があると主張した。彼は、こうした事件には共通するパターンが見られると述べ、ヘンリー・ノワクの事件についても、警察は致命的な負傷の有無を確認するより先に、人種差別に関する申し立てを重視しているように見えたと語った。2

しかし、誰もがこうした解釈に同意しているわけではない。ファラージやその他の論者を批判する人々は、彼らがこの悲劇を利用して移民、人種、警察制度をめぐる政治的主張を展開していると指摘している。一方でファラージ支持者らは、自分たちは単に公的機関の運営や、極めてデリケートな状況において警察官がどのような判断を下しているのかという正当な疑問を提起しているだけだと反論している。

議論が続く中、ヘンリー・ノワクの父親は、人々に対して息子の死を「分断や憎悪、緊張」を生み出すために利用しないでほしいと呼びかけている。それにもかかわらず、この事件は人種、警察制度、そして英国の公的機関に対する信頼をめぐるより大きな議論の一部となっていった。3当然ながら、彼らは最愛の息子を失った遺族である。

サウサンプトンでは抗議活動が発生し、一部の参加者が警察に向かってレンガを投げる事態も報じられた。こうした反応は、一部の英国人が抱く警察制度への不満や、司法制度が本当にすべての人を平等に扱っているのかという疑問を反映していると指摘する人々もいる。そのような人々にとって、この事件は、人種や民族的背景によって当局の対応が異なるのではないかという懸念を象徴する出来事となっている。

Southampton man jailed for life for murder of student with 'religious'  knife | Crime | The Guardian

ガーディアンより: ヴィックラム・ディグワーの顔写真

この事件に関する議論では、しばしばジョージ・フロイドとの比較が行われている。

ジョージ・フロイドは2020年、アメリカで警察官によって殺害された黒人男性であり、その死は世界規模の抗議運動と大規模な報道を引き起こした。彼の最後の言葉も息ができない」であった。

多くの論者は、フロイドの死が即座に世界中で報じられた一方で、ヘンリー・ノワクの事件は数か月間にわたり一般社会ではほとんど知られていなかったと指摘している。こうした議論の中で、現在の英国首相であり当時は野党党首だったキア・スターマーが、「ブラック・ライブズ・マター」運動への支持を示すために片膝をついていた写真も再び注目を集めた。6こうした二つの事件を比較することは不適切であり、遺族の悲劇を政治利用することになると主張する人々もいる。

一方で、異なる事件に対する社会やメディアの反応を比較することは避けられず、そこから報道姿勢や世論の関心について疑問が生じるのは当然だと考える人々もいる。そのため、一部では「なぜスターマーはノワクのためには片膝をつかなかったのか」という疑問も提起された。彼らは、少なくともノワクはフロイドとは異なり英国国民だったのだから、その死も同様に注目されるべきだったと主張している。

Nigel Farage defends his response to Henry Nowak murder amid Starmer  criticism

Breaking News.ieより: ナイジェル・ファラージが自身の発言について説明する様子

この議論は次第に先鋭化していった。政治活動者トミー・ロビンソンやGBニュースに関係する論者たちは、ジョージ・フロイド事件とヘンリー・ノワク事件に対する注目度の差を論じる際、しばしばフロイドの前科や薬物使用歴に言及している。4 5 これについて私個人としては、そのような犯罪歴を持ち出すのは公平ではないと考える。たとえフロイドに過去の犯罪歴があったとしても、それによって警察官が人を死に至らしめることが正当化されるわけではないからだ。同様に、仮にヘンリーが人種差別的な発言をしていた可能性があったとしても、それによって警察が彼が刺されているかどうかを十分に確認しなかったように見える対応が正当化されるわけでもない。

一方で、こうした論者の支持者たちは、この事件が警察文化の変化を示していると主張している。彼らによれば、多様性や包摂性、さらには人種差別の申し立てに対する配慮が、警察官による状況判断に影響を与えた可能性があるという。彼らの見方では、警察はヘンリー・ノワクに何が起きたのかを十分に確認する前に、ディグワーの主張を重く受け止めていたように見えた。

これがより広範な制度的問題を反映しているのかどうかについては激しい議論が続いている。しかし、この事件によって、多くの人々が人種的な要素を含む事件において警察がどのような判断を下しているのかを改めて問い直すようになった。その結果、この事件に対する世論は大きく分裂し、人々は同じ出来事から全く異なる結論を導き出している。

Minister condemns riots after UK rightwing leaders call for 'rage' over  student killing

フィナンシャル・タイムズより:6月のサウサンプトンでの抗議活動

さて、ここで近年広く議論されるようになったもう一つのテーマについて触れたい。

凶器として使用されたのは短剣だったが、議論の中心となったのはむしろ「キルパン」だった。キルパンとは、シク教において重要な宗教的象徴とされる儀礼用の小刀であり、道徳的義務、正義、そして弱者を守る責任を表している。敬虔なシク教徒は、英国法の下で一定の条件を満たす場合、キルパンを携帯することが認められている。ディグワーもその一人だった。7

ただし、今回の殺人でキルパンそのものが使用されたわけではない。それにもかかわらず、事件後にはキルパンに関する宗教的例外規定が公共の安全にリスクをもたらしているのではないかと疑問を呈する論者も現れた。これに対し、多くのシク教徒はキルパンを純粋に宗教的象徴として平和的に携帯しており、一人の人物の行動によって共同体全体を判断するのは不当だと主張する人々もいた。さらに一部の人々は、宗教上の信念を理由として刃物の携帯が法的に認められること自体が、一般市民には与えられていない特別な特権ではないかと主張した。

Protestors confront riot police during a demonstration over the police's handling of the fatal stabbing of Henry Nowak, in Southampton, England, on Tuesday.

CNNより

その結果、この事件をめぐる議論は殺人事件そのものを超え、宗教的配慮、公衆安全、そして法の下の平等といった、より広範なテーマへと広がっていった。

ヘンリー・ノワク殺害事件と、その後の警察の対応は、英国社会に激しい議論を巻き起こした。警察官は、関係者の人種や出自によって対応を変えているのだろうか。ヘンリーの死を、人種、移民、警察制度をめぐるより大きな議論の一部として扱うことは、故人や遺族に対して敬意を欠く行為なのだろうか。それとも、それは多くの市民が以前から抱いていた懸念に対する当然の問題提起なのだろうか。

こうした問いに対する答えは人それぞれ異なる。しかし、深刻な問題があったという点については、多くの人々が一致している。その後の調査では、ヘンリー・ノワクの負傷は極めて重く、生存できる可能性はきわめて低かったと結論づけられた。しかし、その事実によっても、多くの人々が映像に対して抱いた衝撃や違和感が薄れるわけではない。18歳の少年が致命傷を負った状態で地面に手錠をかけられ、自分を刺した人物のそばに横たわっている。

その光景は、英国中の多くの人々の記憶に強く刻み込まれた。人種、警察制度、そして政治をめぐる議論は、今後も続いていくだろう。しかし、その論争の中心にいるのは、政治的な象徴でも社会問題の比喩でもない。命を失った一人の若者なのである。

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