写真:ダイヤモンドオンライン
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石破茂は、2024年10月から2025年10月まで日本の内閣総理大臣を務めた。自由民主党において長年要職を務めてきた政治家であり、防衛大臣や党幹事長などを歴任してきた人物である。2024年の総裁選以前には、4度にわたり総裁選に挑戦し敗れており、5度目の挑戦でようやく悲願を果たした。しかし、その政権運営は決して安定したものではなく、特に2025年7月の参議院選挙で与党が過半数を維持できなかったことを契機に、政治的な圧力は急速に高まった。本稿は、英語圏の読者向けに書かれた石破政権に関する論考を、日本語で再整理したものである。新たな主張を行うことを目的とするものではなく、石破茂政権下における日本政治の動きを振り返り、記録として残すことを目的とした整理・再構成である。以下では、政権の経緯と特徴的な出来事を時系列に沿って確認する。
同氏は銀行勤務を経て、1986年に自民党公認で衆議院議員に初当選した。1993年から1997年にかけては、一時的に自民党を離党し、二つの野党勢力に参加した経験を持つが、その後は自民党に復党し、以後一貫して同党に所属している。党内では比較的穏健で改革志向の政治家と見なされることが多く、安倍晋三元首相の政治手法、とりわけ権力集中型の統治スタイルに対して、公然と批判を行ってきた点がその象徴である。

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2024年8月、岸田文雄首相は、相次ぐ不祥事による支持率低下を受け、自民党総裁選への不出馬を表明した。これを受けて行われた総裁選では、石破茂と高市早苗が有力候補となり、最終的に石破が約5ポイント差で勝利した。こうして石破は首相に就任したが、そのわずか8日後、衆議院の解散に踏み切ることとなる。
首相就任直後、石破が過去に示してきた第二次世界大戦に対する反省的な発言は、韓国メディアなどから一定の評価を受けた。韓国の進歩系紙『ハンギョレ』は、歴史認識をめぐる姿勢において、対抗馬であった高市と比べて「穏健」であると論じた。しかし一方で、靖国神社への対応は国内外で波紋を呼んだ。石破は、菅義偉、岸田文雄両前首相と同様、参拝は見送ったものの、供物を奉納するという対応を取った。これは近隣諸国への配慮と、党内や国内世論への一定の配慮を両立させようとした判断と考えられるが、中国や韓国の一部からは「期待外れ」と受け止められ、また党内保守派からも不十分だとの批判が上がった。この一件は、歴史認識問題の難しさと、慎重な中間的立場が必ずしも支持を集めない現実を浮き彫りにした。
石破は就任から8日後に衆議院を解散し、10月に総選挙を実施した。岸田政権下での不祥事の影響もあり、自民・公明の与党連立は15年ぶりに衆議院で過半数を割り込み、自民党は歴史的な大敗を喫した。ただし、野党側も政権交代を実現できるほど結集できず、結果として石破は国会で首相に再指名された。このため、第1次石破内閣は戦後でも極めて短命な内閣の一つとなった。党内からは「選挙結果の責任を取るべきだ」として辞任を求める声が相次ぎ、続投を「権力への固執」と批判する意見も表面化した。

写真: Reuters
外交・安全保障面では、「アジア版NATO」に言及した発言が注目を集めた。石破自身は正式な提案ではないとしつつも、現行の安全保障体制では地域の安定を十分に確保できないとの問題意識を示した。これに対し、国内では具体性に欠けるとの批判があり、鳩山由紀夫元首相は、日本が不要な軍事的義務を負う可能性を懸念すると述べた。
一方で、若年層やSNS上では、石破の「振る舞い」が話題となる場面も多かった。公の場でのおにぎりの食べ方が動画で拡散され、ニュースやネットミームとして消費されたほか、G20サミットでは各国首脳への立ち居振る舞いをめぐって批判が出た。政策的影響はほとんどなかったものの、こうした出来事は「首相としてのイメージ」に影を落とした。その後、高市早苗が首相に就任すると、国際会議での所作や外交姿勢が好意的に報じられ、石破との比較がなされるようになった。
石破政権は、安倍晋三政権以来となるトランプ政権との在任期間の重なりを経験する内閣となり、日米関係の運営において大きな重圧を背負うこととなった。安倍元首相とトランプ前大統領の個人的関係が日米同盟の安定に重要な役割を果たしていたと広く認識されていた中で、トランプ大統領の保護主義的な通商姿勢や「アメリカ・ファースト」路線の再強調は、日本に関税再導入への懸念をもたらした。石破は、同盟関係の安定を最優先とし、米国の通商政策を公然と批判することは避け、水面下での交渉を通じて日本の経済的利益を守ろうとする現実的な対応を取った。
さらに、少額ながら政府のギフト券配布をめぐる問題が発覚し、判断力や透明性への疑問が生じた。これは自民党全体への不信感をさらに強める結果となった。
政権末期には、JICAによるアフリカ諸国との「ホームタウン」構想を発表したが、受け入れ自治体の住民から費用負担や説明不足への反発が相次ぎ、最終的に計画は撤回された。この混乱は、石破政権の求心力低下を象徴する出来事となった。

写真: ザ・ジャパンタイムズ
2025年5月には内閣支持率が20.9%まで低下し、石破は最終的に辞任を表明した。辞任直前には、小泉進次郎や菅義偉元首相からも退陣を促されていたとされる。石破政権は、自民党が2012年に政権復帰して以降、最も急激な支持低下を経験した政権の一つであった。
総じて、石破茂の短い首相在任期間は、党の求心力が弱まる中で、いかにベテラン政治家であっても政権運営が困難になりつつあるかを示している。長期支配への有権者の疲労感が強まる現代日本政治の一断面を映し出した政権であったと言える。
10 Prime Minister’s Office of Japan
14 Nikkei






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