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アメリカ合衆国で開催された大規模な「Wasian Meetup (白人とアジア人のミックス向け交流会)」の動画がSNSで拡散され始めた時、私はコメント欄を見る前から、どんな反応になるか何となく想像がついていました。
「フェティッシュの集まりだ」、「なぜワシアンだけでコミュニティを作る必要があるのか」、「ワシアンって自分たちの人種の話ばかりする」、「被害者ぶりたがっている」、そんな嘲笑や批判です。
特にアメリカ中心のネット空間を長く見ていると、白人とアジア人のミックス、いわゆる“Wasian” (white + Asian) が、他のミックスルーツの人々とは少し違う扱いを受けていることに気づきます。「白人性に近いから、そこまで深刻なマイノリティではない」と見なされる一方で、「アジア系だから」とステレオタイプの対象にもされる。つまり、軽く扱ってもいい存在のように消費されている感覚があるのです。
今回のミートアップそのものよりも、私はその“反応”に強く興味を持ちました。
ただ、最初に言っておきたいのですが、私はこのイベントに全面的に共感しているわけではありません。むしろ、同じ白人×アジア人ミックスでありながら、かなり“異文化”的に感じた部分も多くありました。
私は普段、自分を「ワシアン」と呼ぶより、「イギリス系と日本系のハーフ」と表現することの方が多いです。アメリカのネットで見られる「ワシアンアイデンティティ文化」のようなものは、自分の感覚とはかなり距離があります。
それでも、白人とアジア人のミックス同士が集まること自体を、そこまで不自然なことだとは思いません。
世界には様々なコミュニティがあります。黒人×アジア人のグループ、南アジア系ディアスポラ、東欧系移民コミュニティ、日本人会など、共通した背景を持つ人たちが集まる場は珍しくありません。ミックスルーツの人々は、「どちら側にも完全には属していない」と感じることが多く、同じ感覚を持つ人を探したくなるのは自然なことだと思います。
私が違和感を覚えたのは、ネット上でこの集まりがあまりにも早く「怪しいもの」として扱われたことでした。
単に白人とアジア人のミックスが、自分たちのアイデンティティについて話しているだけで、「白人至上主義っぽい」、「フェティッシュ文化だ」、「抑圧されたがっている」と決めつける人が非常に多かったのです。
特に欧米のネットでは、「白人男性+アジア人女性」という組み合わせに対して、「白人男性がアジア人女性をフェチ化 (性的対象として扱っている)」「アジア人女性が白人への憧れから自己否定している」といった見方が根強くあります。そして、その間に生まれた子どもであるワシアン自身まで、その文脈で語られてしまうことがあります。
私は、その考え方にはかなり違和感があります。
親が白人とアジア人だからというだけで、その関係性や子どもの存在まで政治的な象徴として扱うのは不公平です。国際恋愛や国際結婚を、すぐにネット上の固定観念へ落とし込むべきではないと思います。
一方で、このイベントに対して「ちょっと痛い」と感じた人の気持ちも、私は理解できます。
実際、動画を見ていて、「SNS映え」を意識しすぎているように感じる場面もありました。文化交流というより、インフルエンサーの交流会のように見える動画もあり、「ワシアン」という言葉そのものをブランド化しているような空気もありました。
特に印象的だったのは、「Welcome to Wasiaaaaa (ワシアへようこそ〜!)」と大げさに言っている動画です。正直、私の反応は「……何これ?」でした。
そういう場面を見ると、「アイデンティティについて語り合う場」というより、ネット文化が自分自身をエステティック(雰囲気・ブランド)化しているようにも見えてきます。
ただ、ここで重要なのは、「少し“イタい”・寒いだと思うこと」と、「だから叩いていい」というのは全く別だということです。
私が特に気になったのは、白人×アジア人ミックスに対して、多くの人がかなり気軽に偏見や冗談を投げていたことでした。
「フェチ・ベイビー (フェティッシュの結果生まれた子)」のような言葉、白人の父親やアジア人の母親へのステレオタイプ、あるいは「ワシアンなんて人工的な存在だ」という扱いまで、かなり普通に見かけました。
しかも、それを書いている人の多くは、自分では「リベラル」、「反差別」、「右寄り」だと思っている人たちです。
ここに私は矛盾を感じます。
欧米では、“people of colour (POC)”という概念があります。日本語では単純に訳しづらいですが、「白人中心社会の中で、人種的マイノリティとして扱われる人々」をまとめる言葉です。そしてワシアンも、多くの場合そこに含まれます。
しかし実際には、差別やアイデンティティの悩みについて語ろうとすると、「お前たちは白人寄りだからそこまで大変じゃないだろ」と軽視されやすい。もちろん、ワシアンが他の全てのマイノリティと同じ経験をしていると言いたいわけではありません。人種や歴史によって状況は全く違います。
それでも、「抑圧されたがっているだけ」、「マイノリティごっこ」、「そんなことで悩むな」といった扱いが、ネットではかなり“許されている空気”があるように感じます。
また、イベントへの批判の中には、考える価値のあるものもありました。
例えば、「南アジア系のミックスは歓迎されていない雰囲気だった」という声です。欧米ネットで“アジア人”というと、日本・韓国・中国など東アジア中心で語られることが多く、アジア全体の多様性が抜け落ちてしまうことがあります。それは、アメリカの人種観そのものとも関係しているように感じます。
“ワシアン” や “ブレイシャン” (black + Asian) など、ミックスルーツの人々が細かく分類され、それぞれ別グループとして扱われていく傾向です。もちろん背景によって経験は違いますが、個人的には「そこまで分ける必要があるのか」と感じることもあります。そして、この一連の議論全体が、私にはとても“アメリカ的”に映りました。
片方を単純に「白人」と呼び、もう片方を国籍や民族で表現する感覚。人種カテゴリーを非常に細かく整理していく文化。そうしたものは、日本で育った感覚とはかなり違います。
そもそも、白人×アジア人ミックスはアメリカだけに存在するわけではありません。日本を含めたアジア圏で生活している人もいますし、ヨーロッパやその他の地域にもいます。当然、アイデンティティとの向き合い方も全く異なります。
だからこそ、今回のミートアップも、その炎上も、私にとっては興味深いものでした。
イベントそのものは、少しSNS的で、商業化されすぎていて、自分の感覚とはズレている部分もありました。ですが一方で、その反発の中には、「白人×アジア人ミックスは真面目に扱わなくていい」という空気も確かに見えた気がします。
俳優のクエンティン・グエン=ドゥイは、CNN のインタビューで、「ワシアンへの注目は、白さへの近さや欧米的な美の価値観とも関係している」と語っていました。私は、その議論自体は真剣に考える価値があると思います。もし本当に、「白人に近いから優れている」と考えている人がいるなら、それは当然批判されるべきです。¹ ただ、白人とアジア人のミックスが集まったというだけで、全員にそうした思想を投影するのは乱暴だとも感じます。
最終的に、私はこの件に対して複雑な感情を持っています。イベントそのものには強く共感していませんし、アメリカ的な“ワシアン・カルチャー”にも距離を感じます。
それでも、この炎上騒動を通して、「誰に共感が向けられ、誰は軽く扱われるのか」という問題が見えた気がしました。
ミックスルーツの人々が、自分たちの経験について話したり、コミュニティを作ったり、時には少しぎこちなかったり”イタい” だったりしても、それだけで嘲笑や疑いの対象になるべきではないと思います。
「ワシアン・交流会」に共感しなくても、そのこと自体は理解できるのではないでしょうか。
¹ CNN







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