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イギリスのキア・スターマー首相が、与党・労働党の党首および首相を辞任した。支持率の低下や党内からの圧力が続くなかでの辞任となり、今後は労働党の党首選挙が行われる見通しだ。これにより、英国は過去10年間で7人目の首相を迎えることになる。2024年の総選挙で労働党がリシ・スナク率いる保守党に歴史的大勝を収めてから、まだ2年も経っていない。当時、多くの有権者は、保守党政権下で続いた政治混乱やスキャンダル、そして頻繁な首相交代に終止符が打たれることを期待していた。しかし、その期待は実現しなかった。スターマーもまた任期を全うすることなく退陣する首相の一人となったのである。なぜこうなったのか。そして何が失敗だったのか。

写真: The i News
明日は、デービッド・キャメロン首相が辞任を表明してからちょうど10年となる。キャメロンは2010年から首相を務め、2015年には総選挙で再選を果たした。しかし2016年、EU離脱の是非を問う国民投票 (いわゆる「ブレグジット」)で、自身が支持していたEU残留派が敗北。国民がEU離脱を選択したことを受け、「離脱交渉を主導するのは自分ではない」と判断し辞任した。首相在任期間は6年だった。¹
後任となったテリーザ・メイ首相は、EU離脱を実現するという極めて困難な課題を引き継いだ。しかしEUとの離脱協定案は何度も議会で否決され、政治的な行き詰まりが続いた末、2019年に辞任した。在任期間は3年だった。²
その後を継いだボリス・ジョンソン首相は、「ブレグジットを完了させる」をスローガンに掲げ、2019年総選挙で大勝した。実際にイギリスのEU離脱を実現したが、新型コロナウイルス規制中に首相官邸や政府施設でパーティーが行われていた「パーティーゲート」問題が大きな批判を招いた。最終的に閣僚たちの支持を失い、2022年に辞任した。在任期間は3年だった。³
ジョンソンの後を継いだリズ・トラス首相は、大規模減税を柱とする「ミニ予算」を発表したが、金融市場はこれを嫌気した。ポンドは急落し、政府は相次ぐ方針転換を余儀なくされた。トラスはわずか49日で辞任し、イギリス史上最短の首相となった。⁴
その後、リシ・スナク首相が政権を引き継いだ。トラス政権で失われた信頼の回復に努めたものの、保守党政権が長年積み重ねてきた政治的ダメージから逃れることはできなかった。1年8か月後の2024年総選挙で大敗し、労働党が14年ぶりに政権を奪還した。⁵

写真: FE Week、政権を握ったスターマー。
多くの有権者にとって、労働党の勝利は単なる政権交代ではなかった。それは、英国政治の「首相回転ドア時代」を終わらせるチャンスでもあった。ブレグジットをめぐる混乱、党首選挙の連続、スキャンダル、政治的不安定。そうした10年間を経て、ようやく安定した政権運営が始まるのではないかという期待があった。しかし結果的に、それは実現しなかった。保守党を歴史的大敗に追い込んだ総選挙からわずか1年11か月後、スターマーは辞任に追い込まれた。
今世紀最初の保守党首相だったキャメロンが6年間首相を務めたことを考えると、スターマーが一度も総選挙を経験しないまま退陣したことは極めて異例である。2024年にスナク首相が解散総選挙を発表した際には、首相官邸前で労働党のテーマソングとして知られる「Things Can Only Get Better」が大音量で流されるという異例の出来事もあった。雨の中で演説を行うスナク首相の背後にまで音楽が響き渡り、多くのメディアはこれを保守党政権の終焉を象徴する場面として報じた。当時は、それほどまでに「新しい労働党政権への期待」が高まっていたのである。
では、なぜスターマーは現代イギリス政治で最も不人気な首相の一人になってしまったのだろうか。答えは単純ではない。2024年の総選挙で労働党は圧勝したものの、それは労働党への熱烈な支持というより、14年間続いた保守党政権への拒否反応だったという見方が強い。有権者は「労働党を選んだ」というより、「保守党以外を選んだ」とも言える。日本で2009年から2012年にかけて続いた民主党政権の状況と似ているとも言えるでしょう。スターマーは議会で圧倒的多数を得たが、過去の首相たちのような強いカリスマ性や明確な政治ビジョンを持っているとは見なされていなかった。

写真: The Independent、サウスポートを訪れるスターマー。
就任から数週間後、スターマーは最初の大きな危機に直面する。イングランド北西部サウスポートで発生した刺傷事件と、その後全国に広がった暴動である。政府の対応については評価が分かれた。支持者は秩序回復への強い姿勢を評価した一方、批判派は暴動の背景にある社会不安への対応が不十分だったと主張した。⁶その後スターマーは国民向け演説で、「良くなる前に、さらに厳しい状況を迎えるだろう」と述べた。⁷
経済問題も政権を苦しめ続けた。有権者は政権交代によって生活費危機が改善されることを期待していた。しかし住宅費や物価の高騰、公共サービスへの圧力は続いたままだった。高齢者向けの冬季燃料補助金削減も大きな反発を招き、高齢層の支持を失う要因となった。⁸
さらに農家による抗議活動、受刑者釈放問題、課税制度をめぐる論争、児童性的搾取事件 (いわゆるグルーミング・ギャング問題) への対応をめぐる議論などが相次ぎ、政権への信頼は徐々に低下していった。 ⁹ ¹⁰ ¹¹ ¹² 外交面でも論争はあった。特にインド洋のチャゴス諸島をモーリシャスへ返還することで合意した問題は大きな議論を呼んだ。この合意では、イギリスがチャゴス諸島の主権をモーリシャスに移譲する一方、米英軍にとって重要なディエゴガルシア基地については長期租借を継続することになった。政府は長年続いてきた領有権問題を解決する外交成果だと主張したが、批判派はイギリス領土を手放したと反発した。また、モーリシャスと中国との関係を懸念する声もあり、安全保障上のリスクを指摘する意見も出た。¹³

写真: ザ・ジャパンタイムズ、野党党首ケミ・ベイドノック氏とスターマー首相。
移民問題と言論の自由をめぐる議論も、スターマー政権を象徴する争点の一つとなった。スターマーは就任初日に、前政権が進めていた「ルワンダ計画」を廃止した。この計画は、不法入国した亡命希望者をルワンダへ移送することで密航を抑止しようとするものだったが、人権上の懸念から強い批判も受けていた。一方で、廃止後の代替策が不十分だとして、保守派からは厳しい批判が向けられた。また、2024年の暴動に関連する逮捕や、SNS上での投稿をめぐる摘発が相次いだことから、右派の一部はスターマーを「Two-Tier Keir (ダブルスタンダードのキア)」と呼ぶようになった。これは、司法制度が人種や政治的立場によって異なる対応を取っているという主張に基づくものである。¹⁴
もちろん、こうした批判を支持しない人々も多い。支持者たちは、政府が既存の法律を執行しただけであり、特定の集団を優遇したわけではないと反論している。しかし、このあだ名はスターマー政権を批判する際の象徴的な言葉として定着していった。
その一方で、スターマーは左派からも批判を受けた。パレスチナ支持派の活動家たちは、ガザ紛争への対応が不十分だと非難した。また、政府が抗議活動に対して厳しい姿勢を取っているとして反発する声もあった。特に「フィルトン25」と呼ばれる活動家グループの逮捕は大きな議論を呼び、一部の人々は平和的な抗議活動に対する過剰な対応だと主張した。¹⁵
結果としてスターマーは、右派からは移民政策や言論の自由をめぐって批判され、左派からはガザ問題や抗議活動への対応をめぐって批判されるという状況に置かれたのである。
写真: CNA。2026年2月、逮捕されるピーター・マンデルソン氏。
そして、おそらくスターマー政権にとって最も大きな打撃となったのが「マンデルソン問題」だった。2026年2月、スターマーは、ピーター・マンデルソン駐米大使が、児童買春などの罪で有罪判決を受けたジェフリー・エプスタインと接触を続けていたことを知りながら、2025年に駐米大使へ任命していたことを認めた。 ¹⁶ その後、新たな情報が次々と明らかになり、マンデルソン自身も警察の捜査対象となった。スターマーは最終的に任命について謝罪し、「任命は誤りだった」と認めたが、事態の沈静化には至らなかった。この問題は首相官邸内での辞任劇へと発展し、労働党の人事審査体制そのものへの疑問を呼んだ。さらに批判派にとっては、「政権中枢の判断力の欠如」を象徴する出来事となり、スターマー政権への信頼を大きく損なう結果となった。
もっとも、スターマー政権の外交政策が常に批判されていたわけではない。ロシアと西側諸国の対立が続くなか、スターマーはNATOへの強い支持を表明し、ヨーロッパの安全保障におけるイギリスの役割を重視した。また、ドナルド・トランプ米大統領によるグリーンランドをめぐる発言が国際的な波紋を呼んだ際には、デンマークおよびグリーンランドの主権を支持する立場を示した。また、トランプがアフガニスタン紛争をめぐり「NATO加盟国は十分な役割を果たしていなかった」と批判した際には、アフガニスタンで任務に就いたイギリス軍兵士や退役軍人を擁護した。¹⁷ ¹⁸

写真: BBC
スターマーとトランプの関係は単純なものではなかった。両首脳は協力できる分野では協力関係を維持したものの、外交や安全保障をめぐってたびたび意見が対立した。両国の伝統的な「特別な関係」は維持されたものの、その関係はしばしば緊張を伴うものでもあった。¹⁹
スターマーの中東情勢をめぐる判断でも注目を集めた。米国とイスラエルがイランに対する軍事攻撃を実施した際、スターマー政権は直接的な軍事支援への参加を見送ったのである。これはワシントンからの圧力だけでなく、国内の一部同盟国からも参加を求める声があるなかで下された決定だった。²⁰ 支持者たちは、この判断を「英国が独自の外交方針を持っていることを示した」と評価した。一方で批判派は、アメリカとの関係を損なう危険な判断だったと主張した。
中東問題に関連して言えば、スターマー政権はパレスチナ国家を承認するという歴史的な決定も下した。²¹この決定は、イスラエルとパレスチナが共存する「二国家解決」への前進だとして歓迎する声があった一方、イスラエル政府は強く反発した。また、イギリスが中東問題にどのような立場を取るべきかをめぐる国内の議論もさらに激しくなった。
しかし、こうした外交面での評価も、国内での支持率低下を止めることはできなかった。首相としての最後の数か月間、スターマーは相次ぐ論争と支持率低下に直面した。労働党は地方選挙で期待を下回る結果に終わり、スコットランドでも苦戦した。さらにウェールズでは勢力を後退させ、近年急速に支持を伸ばしている右派ポピュリスト政党「リフォームUK」の追い上げにも直面することとなった。

写真: Global News、スターマー氏とアンディ・バーナム氏。
そして今、労働党内で最も注目されている人物の一人がアンディ・バーナムである。マンチェスター市長として知名度を高めたバーナムは、長年にわたり労働党内でも独自の存在感を放ってきた政治家だ。特にイングランド北部の利益を代弁する政治家として高い人気を持ち、「ロンドン中心の政治」に対抗する存在として支持を集めている。2026年2月には、バーナムが労働党候補として補欠選挙へ立候補することを認められなかったことが大きな話題となった。一部の党員は、スターマー側が将来のライバルとなり得る人物の国政復帰を阻止しようとしたのではないかと疑った。しかしその後、6月の補欠選挙でバーナムは下院議員としてウェストミンスターへ復帰することに成功した。これにより、「次の労働党党首候補ではないか」という観測はさらに強まることとなった。²²
日本に住む私にとって、こうした「短命政権」の連続は決して珍しい光景ではない。安倍晋三首相が第二次政権で約8年にわたる長期政権を築く前、日本では安倍氏の第一次政権を含め、1年前後で交代する首相が6人続いた。さらに安倍氏が2020年に辞任して以降も、すでに4人の首相が誕生している。しかし、英国で興味深いのは、政権交代そのものが安定につながらなかったことである。
2024年、労働党は歴史的な大勝を収め、多くの有権者は長年続いた保守党政権の混乱に終止符が打たれることを期待していた。だが結果として、スターマーもまたキャメロン、ジョンソン、トラス、スナクらと同じように、任期を全うすることなく首相官邸を去ることになった。この状況は、2009年から2012年にかけての日本の民主党政権を思い起こさせる。政権交代への期待は大きかったものの、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3人の首相が短期間で交代し、結局は政治の安定には結びつかなかった。
ここで一つの疑問が浮かぶ。首相をこれほど短期間で交代させ続けることは、本当に健全なことなのだろうか。
もちろん、不人気な指導者に責任を取らせることは民主主義の重要な役割である。しかし一方で、党首選挙や政権運営の立て直しに追われる状況が続けば、長期的な政策を進めることは難しくなる。外交や安全保障の分野でも、頻繁な指導者交代は国際社会に不安定な印象を与えかねない。1979年から2007年までの28年間、英国にはマーガレット・サッチャー、ジョン・メージャー、トニー・ブレアの3人しか首相がいなかった。ところが現在のイギリスは、わずか10年で7人目の首相を迎えようとしている。
これは政治的な説明責任が強まった結果なのか。それとも、国家として長期的な方向性を見失いつつある兆候なのか。その答えはまだ分からない。ただ一つ確かなのは、英国が再び新たな首相を迎えようとしているということだ。そして数年後、この首相交代もまた「短命政権の時代」を象徴する出来事として振り返られるのかもしれない。
⁴ Euractiv
⁷ Sky News
¹⁰ BBC News
¹² Sky News
¹⁷ International Bar Association
¹⁸ CNN
¹⁹ The Guardian
²¹ The Times
²² BBC News





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